岩滝獅子神楽の由来と伝承、神楽組の歴史







岩滝神楽は、文政年間(1820年頃)に伊勢本流十二社中の一社である弥作太夫という人に伝えられたとされています。

昭和四十三年の岩滝町史談会の調査で、板列神社御輿倉に保存されている神楽道具の荷箱の裏に、文政十二年(1829年)峯山中町松葉屋甚兵ヱと墨書きされているのが見つかり、この頃が岩滝神楽の創始年代ではないかとされています。

この松葉屋甚兵ヱという人は、当時宮大工で、男山八幡神社のむね礼等にも名が残り、現在も峰山にその家系が残っています。また、当時の荷箱は、昭和三十四年頃迄使用されていたそうです。

弥作太夫は、岩滝村で生涯を送り、岩滝神楽の祖として称名寺裏の墓地に葬られ、昭和二年の丹後大震災迄は、当時の人々に供養されていたといわれています。この時代の遺物として、獅子頭一個、鈴一個、宮太鼓一個が残っており、この太鼓の胴の内側には、天保十三年(1842年)辰川守新町太鼓屋右衛と記されています。現在、丹後郷土資料館に保存されている嘉永五年(1852年)の大祭入用帳によると「定  一、七月十四日夜、若連中忽寄合い相談の上、十五日四丁之世話人相談申御役員へ願出可申候事 一、大祭入用割は、神楽連中には相掛り申間敷候事」とあり、これにより神楽連中の存在が確認されました。文久三年(1863年)八月の大祭入用帳にも、嘉永年間のものと概ね同じ記録が残されています。

時も明治に入ると、孫七という人が神楽連中を束ね、若者を指導したそうです。

明治七年に板列稲荷神社が創建され、板列稲荷神社礼祭での奉納となりました。

明治十八年に「鈴の舞」が奉納され、この時に作った鈴箱のふたの箱書きによると、「此代金八拾銭也、世話人大工定治良、此代金五銭也、神楽連中安全平造、市五郎、友造、作平、辨ヱ門」等と記されています。

この時代の人々により岩滝神楽の名声も大いに上がり、各地から伝承の希望が来るようになりました。明治二十年には弓木村へ伝承され、天野重吉、宮崎泰二、山添源治、堀口重ヱ門の各氏により弓木神楽組が組織されました。

明治三十八年頃には金屋村、後野村、温江村、須津村、香河村、中郡新宮村、中郡鳥取村等へ伝承されていきました。

明治後期から大正にかけ、糸井庄造氏が代表となり若者を指導しましたが

その後、昭和二年の丹後大震災により一時中断されました。

しかし昭和五年には復活し、昭和七年に黒田信次、蒲田篤治郎、糸井栄吉、松本勝二の各氏により、三河内に伝承されました。

その後は青年団が中心となって行事を行うようになり多くの若者達が習い受けましたが、大東亜戦争により戦死したり、戦後、他町へ転出したりと岩滝神楽を伝承する人材が不足し、昭和二十三年には存続の危機でしたが、後の昭和二十四年、糸井栄吉、蒲田篤治郎、松本勝二、山本宣太郎の各氏によって神楽組が組織され、活動が復活しました。

その後の活動として、昭和三十八年には、宮津小学校にて開催された丹後民謡大会に出演しました。しかし神楽組も十人まで減って再び後継者不足となり、何とか文化遺産として価値を高めて活動協力を求める為、山本宣太郎氏が尽力し、町の文化財保護委員会に資料を出して、昭和四十三年に岩滝町から無形文化財に指定されました。

昭和四十九年に丹後地方の文化財関係の集まりが京都府庁であり、岩滝町史談会員でもあった会長、蒲田篤治郎氏と副会長、倉昭一氏が京都府の文化財保護課長に岩滝神楽への府からの補助と、中央での芸能出演を要請しました。府からは、岩滝神楽に関する資料の提出を求められ、この年に岩滝町史談会は、史談会報に岩滝神楽の由来と伝承という小文を発表しました。
また同年八月に京都府から調査に来られ、町より教育委員、文化財保護委員、神楽組より山本宣太郎、倉昭一両氏が出席し、ここにおいて正式名称を「岩滝獅子神楽」と決定されました。

昭和五十年三月には、京都府主催のふるさと芸能祭りに出演しました。

昭和五十一年に岩滝連合区において岩滝獅子神楽保存会(山添寛二郎会長)が組織されましたが、諸般の事情により保存会としてほとんど活動できない状態でした。

昭和五十三年に獅子頭を新調し、役場前御旅所奉納で全ての舞を奉納し、当時の京都映像による「岩滝獅子神楽」保存用ビデオ撮りを行いました。

昭和五十五年になり、岩滝獅子神楽保存会だけでは維持、継承が困難ということで岩滝連合区、各区において小学生の子ども神楽が組織され、屋台、子供頭、天狗面等一式が揃えられました。尺八の
都山流奏者でもあった蒲田篤治郎氏が何とか子ども神楽で継承して行けるよう、尺八の譜面で保存用の囃子の楽譜を作成しました。

昭和五十五年〜昭和五十七年に保存会が岩滝連合区の各区を指導しました。

昭和五十七年の祭礼前、東町会館において三河内の神楽衆を指導し、三河内神楽衆は、その模様をビデオに納め持ち帰りました。このビデオは現在も東町岩滝大神楽保存会の練習で使用されています。

昭和五十八年十月十五日には、宮津会館で開催された京都府北部芸能祭に出演しました。翌十月十六日、京都府推薦で京都市山科区笠原寺法要に招かれ出演しました。

以上が、岩滝連合区の中の立町区、浜町区、藪ノ後区、東町区の各区へ継承されるまでの記録に残る由来と伝承、神楽組の歴史です。

               
 
平成二十三年四月  東町岩滝大神楽保存会

資料提供 倉 昭一  元岩滝町史談会会員

                    旧岩滝獅子神楽保存会会員 

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